2014年4月2日水曜日

今のゲームにあり、昔にはなかったものと、昔のゲームにあり、今は失われたもの。





まずはじめに
 私、robustarはゲームが好きです。そして面白いゲームならば時代を問わず楽しみます。その上でこの論を展開させていただくので、今のゲームそのものを否定するわけではありません。ゲームが無くなると私にとって非常に困ります。生きがいがなくなります。ゲームが好きだからこそ書くものだということをご理解ください。
 そしてハードがどうとかも関係ありません。その手の話をしたい方は読まなくていいです。非常に乱暴な言葉ですが、論とはまったく違う部分で荒れるのだけは不本意ですので、よろしくお願い致します。


私robustarの個人の意見ですので、業界の総意や蟹速記者一同が思っていることではないことをご了承ください。



今回のお話は家庭用CSゲームのこと
 

私が生まれてきた時代は非常に恵まれており、生まれた時には既にゲームという遊びが世の中にあふれている時代でした。私の親はゲームが好きでゲームを買っており、物心がつく前から私はコントローラを握っていたと聞いています。そして私の親が買ってくるゲームは多種多様で、ウルトラマンの謎のRPGから仮面ライダーの格闘ゲーム、そしてこの太閤立志伝のようなゲームまで家にはカオスとも言えるラインナップが揃っていました。そう、まさにゲーム業界が一番盛り上がっていた時代だったのではないでしょうか。






 私が成長していくのと同時に、家庭用ゲームの中に3Dという新しい空間が生まれ、ゲームはよりリッチになっていきました。ファイナルファンタジー7ではフルポリゴンのゲームという全く新しいデザインのゲームが発売され、太閤立志伝も2でキャラクターが3Dになりました。3Dというのはひとつの革命ともいえるもので、これによって今まで再現できなかったような世界を創りあげることができるようになったために、ゲームもより多様な形になっていったのではないかと分析しています。


 「これから先ゲームはどのように進化していくのだろう」と当時の私は思ったものです。ロックマンDASHというゲームで3Dアクションの楽しさを知り、「がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどり」でいわゆる箱庭を駆け巡ることの楽しさも知りました。この3Dゲームは今でこそ当たり前で、2Dのゲームのほうが少なくなってきたような気さえしますが、当時としては実に斬新だったと思います。

まだまだ書けることはたくさんありますが、本題ではないので中略させていただきます。







現代になり、今までできなかった事ができるようになった


  この記事のタイトルだけ読むと、今のゲームは全部ダメだ!みたいな誤解を受けるかもしれませんが、実際はそう思ってはいません。むしろ進化している部分の方が多いのです。
最初に昔のゲームと違って圧倒的に便利になったのはオンラインです。例えばFIFAというサッカーゲームですが、このゲームはなんとオフライン対戦はもちろん、世界のプレイヤーで11VS11というかつて夢見た1人1プレイヤーができるゲームです。こんなことは10年前には絶対に不可能なことでした。このシステムは現代だからこそできるゲーミング体験だと私は思っています。
 
 

このポケモンだって15年前には友達か、もう一本ソフトを持っていないとポケモンが全て揃わないシステムです。しかし、今やインターネットを通じて交換もできれば、見知らぬ世界中のプレイヤーと対戦するようなことさえできます。これは近くに同じゲームを持っていなくともけっして孤独にならないというのは凄いことです。昔では考えられないことでした。






 更に、ゲームハードの性能の向上に伴い、まるで本物のような世界を走り回ることができ、戦争を疑似体験しているかのような感覚すら覚えるほどの映像の中をゲームで表現できるようになりました。コールオブデューティーシリーズ等は現代の代表作とも言える作品です。まるで本物のような人間を撃てるゲーム等は現代でしか表現できないのではないでしょうか。
 いかにフォトリアルであるかにこだわることが世界の基準になりつつあるといっても過言ではありません。



 そしてゲームは、ここ20年で「子どもがするもの」から「だれでもするもの」へと変わっていったと思っています。その理由としては「昔ほど理不尽なゲームが減り、頑張ればみんなクリアできるようになった。」ことだと思います。昔のゲームは相当難儀なものも数多く存在しましたが、今のゲームはチュートリアルが手厚かったり、お助けアイテムがあったりと非常に親切です。これは純粋に素晴らしい進化だと思います。









しかし、失ったものも大きい
 しかし、現代が昔に比べて全て良くなったかというとそうではありません。ゲームの性能が上がり、表現力が増していくにつれ
かかるコストが倍では済まないほど上がっていき、かつてに比べて野心的なタイトル(噛み砕いていうとニッチなタイトル)がまったく出ない状態へと変貌してしまったように感じます。
 競艇WARS マクル6を例に挙げると、
こんなゲームはもう二度と出ることは無い 
と思います。あきらかに現代の開発コストで採算が取れるとは思えないからです。(まあ、この作品はこの時代ですら採算厳しかったようですが)しかしゲームそのものに関しては傑作レベルものですので、このような野心作がより出てこない状態にあるというのは表現力が上がったのに実に皮肉なことではないでしょうか。

 今のゲームは昔に比べると非常にコストがかかるもので、昔ほどビジネスが成り立つわけではない状態にあります。昔よりもはるかに開発コストが上がっているにもかかわらず定価はそれほど変わらない状態だということは、数を売らなければ完全に赤字だということであり、そのためには売れているシリーズを出すしかない。結果に続編地獄 
という悪循環に陥っていると思われます。娯楽の世界においてマンネリほどつらいものはない。と私は思うのですが、今のCSゲームは酷いくらいマンネリが蔓延してると私は主張したいと思います。








 そしてグラフィックの進化のみが先行していき、主と従の逆転現象が起きているゲームも存在すると私は思います。ここにあげたのはFF13ですが、このゲームは完全に昔のファイナルファンタジーよりもできることが減っています。道は殆どまっすぐのみだということで物議を醸したタイトルであり、私もプレイしましたが「俺の役割は何?」と終始置いてけぼりでエンディングを迎えました。それを分析した結果が「ゲームとしての主と従の逆転現象」でした。

 確かにこのゲームはめちゃくちゃキレイなゲームなんです。しかし、できることが昔より圧倒的に少ないせいで、ゲームという芯をおざなりにされた印象を受けました。昔はグラフィックでできることなどは限られていたため、ゲーム性で個性をつけていましたが、現在はできることが多すぎて見失ったような気さえします。











 これは先日、それほどゲームをプレイしない友人から言われた衝撃の一言だったのですが、「こんなに綺麗なゲームは難しそうで、俺にプレイできるのか?」と言われました。実際はむしろ昔よりも簡単になっているんだ!と私は力説しましたが、リアルになればなるほど難しい操作が要求されるのではないか。ということでゲームを敬遠してしまう人もいるということにショックでした。費用を昔よりガンガン突っ込んだ挙句にこういうことを言われてしまうのはなんだか不憫な気がします。実際全然そうでもないのですが、これが洋ゲーが日本で普及しない理由なのか?とすら感じました。













現代、日本では手軽さを求められ、欧米ではリアルさを求められている?


現代の日本では据え置きタイプのゲーム機よりも圧倒的に携帯ゲーム機が普及しています。これは日本人のライフスタイルにあっているからこそなのかもしれません。昔と比べて表現力が上がり、かつ電車でもどこでもプレイできるからです。スマートフォンアプリのゲームも同様の理由で普及していると考えられます。
 というわけで業界が衰退したわけではなく、むしろ昔よりもゲーム人口そのものは増えているのかもしれません。しかし野心的なタイトルは代を重ねるにつれ減っています。ニンテンドーDS→ニンテンドー3DSに世代が変わって出てきた新作タイトルはDSに比べて圧倒的に少ないのが現状です。
 そんな中パズル&ドラゴンズは久々の新規大ヒットゲームですが、これも元はスマートフォンアプリで、業界には閉塞感が漂っていると私は常日頃感じます。時代の流れでもう家庭用ゲームは新作を生み出す場ではないのかもしれませんが、このままゆるやかに衰退していくのでしょうか?幼い私の周りにいつもあったようにカオスな雰囲気すら演出してくれる奇抜なゲームの数々を私は期待しています。





 一方、欧米諸国では据え置きタイプのゲーム人気が圧倒的で未だに売り上げがぐんぐん伸びている状態です。先日発売した新型ゲームハード「PS4」「Xbox One」は記録的な売り上げを出していると聞いています。
 しかし、こちらもかなりの続編ラッシュでの閉塞感は凄まじい物があります。そんな中出現した完全新作タイトル「TITAN FALL」等が成功するかどうかで、今後の業界がどうなっていくか方向が決まるのではないかと個人的には注目しています。今やビジネスの主流は海外です。
そのため新規タイトルが受け入れられる市場であってほしいと思います。







 おわりに
 私は常日頃、太閤立志伝の新作はまだか!?マクル6の続編はまだか!?ロックマンDASH3……ピクミンピクミンピクミンとつぶやいています。新しいものが出ていないと言いながら、かつてのタイトルの続編を待っているということに何か矛盾を感じることも時々あるのですが、これらの作品は私がプレイした時に他では絶対言い表せないほど感動したゲームなのです。これらの作品のような他では絶対にできないような感動をさせてくれるゲームが現れることをずっと期待しているということだと個人的には思っています。
 こんな記事を書きながら、昔のゲームは~だからやらない。今のゲームは~だからやらない。というのだけは絶対に避けたいと思っています。むしろ温故知新、新しさを追求した果てに古き良さに気づくべきでしょう。ゲームは私が死ぬまでそばにあってほしいし、死ぬまで離れるつもりもありません。

 この私のゲーム論に関して、様々な人が様々なことを感じ、仰っていただけたならば記事を書いた人間としましてはこれほど嬉しいことはありません。「感想」、「議論」お待ちしています。




 

16 件のコメント:

  1. リノヴィッチ2014年4月2日 4:05

    蟹速twitterからきました。初めてコメントをします。
    感想と個人的な思い出を書きますね。
    私は1976年生まれ、おそらくrobustarさんよりずっと年上かと思います。
    ゲームに対する思いに共感を受けました。
    私が小学生の低学年の時にファミリーコンピュータ、冒頭の画像のものがでました。
    それまでは、「ゲームウォッチ」という持ち歩きできるDSのようなハードで遊んでいました。
    携帯できるゲームから一旦、家庭用のテレビ画面でプレイするようになったということで、後戻りしたような感じですね・・。
    ハードの話はないとのことなので、これは省きますが、それまで文字通り、デジタルウォッチのような液晶画面でゲームをしていた私にとってはファミコンの大画面、しかもカラー画面で遊べるおどろきとワクワク感はなんともいいがたい全能感を感じたものでした。
    スーパーマリオブラザーズやドンキーコングジュニアなど、二人プレイができるゲームもあり、友達との話題もファミコンの話がとても多い小学生時代でした。
    クリスマスや誕生日などに、欲しいゲームソフトを買ってもらい、帰りの電車でワクワクしながら「ファミカセ」の箱をこっそり開けて「マニュアル」を読み、ゲームのあらすじを頭に叩き込み、操作方法を覚え、家に帰ったらすぐにでもプレイを始めることができるようにしました。
    『ファミ通』や『アスキー』をお小遣いで買い、裏技やクソゲー談義で盛り上がったものでした。
    そのなかでもドラクエの世界観やゲームのシステムには驚き、小学生ながらもこのゲームに期待し、ドラクエを支持してプレイしたことは思い出すと感慨深いものがあります。
    ゲームをつくる人たちと一体感を持っていました。たぶん、これがゲームに対する愛着、愛情でしょうね。
    そのうちグラフィックスもどんどん進化し、また、ストリートファイターⅡのような格ゲーも発売され、色々な世界を主人公として体験できるようになりました。
    自分のいる世界に適応し、何か目標をクリアすることを覚えたのもゲームのおかげといってよいかもしれませんね。
    ストⅡのころはもう高校生になっており、ゲームが時間の無駄遣いなんじゃないか?と思うようにもなってきて、なんとなくゲームから離れてそれっきりです。少し寂しいですね。
    というわけで、私には今のゲームを語る資格はありませんが、robusutarさんのいうように、本当にグラフィックが進化し、確かに置いてけぼり感を感じることがあるのでしょうね。
    久しぶりにゲームのことを思い出すきっかけになりました。
    ありがとうございました^^

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  2. いわゆる、ファミコン世代のオッサンです。
    robustarさんよりは一回りは上になるのでしょうか?
    既に、家庭用CSゲームビジネスは破綻してしまっていますよね。
    これ以上何を望んでも無理なのは解っているけど、
    昔を知る者としては、過去の栄光よもう一度!! と思うのも・・・

    スマホから出た、10年に一度クラスのパズドラに、全く興味が無い時点で、
    ゲーム業界全体から見れば、メインターゲットでは無い自分は何も言う事ありません。
    無くなりはしないけど、緩やかに落ちていく業界を見ながら、
    時間が足りなくて積んだり、無くならない内に確保した過去ハードの良作を、
    老後の楽しみとしてチビチビと遊んで行く。
    これで良いと思っています。

    ちなみに今は、新・世界樹の迷宮にハマッているので、とても幸せです。

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  3. 「失ったものも大きい」の後にマクルが出てきて「ああマクルの続編のことかな」と

    ハードが進化して機能的、容量的にできることが多くなったのも変化の理由かと思う
    そのせいでやり込み要素が暴走したりする

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  4. 初めてコメントさせて頂きます。

    私が思う昔のゲームになかったものとして一番に思いつくのが「そのゲームに関する情報量」ですね。
    ただそれは、悪いことではなく、むしろその方が良かったんじゃないかと思います。
    どんなゲームも自分でやってみないことには何もわからなかったし、ネットなどなかったので
    その作品に対する評価や、攻略方法も全部自分がやった事がすべてであった時代でしたからね。

    とは言えど、ネットやそこに流れる様々な情報を否定するつもりはありません、
    様々な情報から正解ではなくとも正しいルートを選択する行為もある種のゲームなんじゃないか・・・と。
    いわゆる昔のアドベンチャー的なものです、人生ゲームというソフトもかつてありましたし(笑)

    あと個人的に悲しいのは、最近のゲームはグラフィックばかり注目されますが、
    BGMにも、むしろそちらこそ着目してほしいところですね。
    ゲーム中で流れる音楽はそのゲームでの体験や感動を、記憶に鮮明に残してくれる重要な要素です。
    グラフィックの場合は、綺麗になったグラフィックで上書きされてしまうようなものですが、
    BGMは、その当時の遊んだ記憶を呼び覚ましてくれます。
    最近はBGM音量をゼロにして自分の好きな音楽かけてゲームするスタイルという人が少なからず居ますので
    コメントでいれてみました。

    最後になりますが、
    robustarさんのtwitterでもちょこちょこ見ましたが、ウィニングポスト8は面白いなと思います。
    メイン画面見てるだけでも時間をつぶせているので殆ど進めてませんが。
    あと太閤立志伝の続編は作ってくれないかなぁ…というのは激しく同意見です。
    以上です。

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  5. 一つ前の記事に気になっている事をコメントしました

    何故か   ば~か←タイトル

    ロブ子の大きいサイズのAAの

    レアな記事につながりました。

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  6. ロブ子AA記事のアドレスです。
    http://kanisokuhou.blogspot.jp/2014/03/undefined

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  7. ゲームに限らず、音楽、映画などエンターテイメント全般に言えることだと思うんだけど、
    商業性と芸術性(といえば大げさなんだけど、そのコンテンツを楽しめる本質的なもの)のバランスが大事なのかなぁと。開発費かけるほど安牌しかうてなくなる。

    ただ市場が大きくなれば出てくるニッチな作品も、ゲームに限っていえば記事で触れてるようにプラットフォームの開発費の問題で排除されてしまう。

    そういう意味でスマホゲー業界を応援するべきなんだろうけど、スマホゲーってなんかネガティブなイメージあるんだよね。どうせバグ取りもロクにしてない手抜きだろって。
    ケータイゲーで痛い目見た俺の偏見かな?

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  8. 最近のゲームはグラ偏重なところがどうもねえ
    それより光源処理やエフェクトなんざ投げ捨てて高fpsで高解像度のストレスの少ないものを作って欲しい
    あと、自由度やカスタムが高まればいいっちゅうもんじゃないんだ
    不自由で制約のあるゲームにこそ本当の考えて遊ぶ楽しみがあると思う

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  9. オレもアラフォーのおっさんです。友達はゲームに対して、すっかり冷めてしまっていて、自分の周りでは、オレだけがゲームを遊んでいる昨今です。やっぱり、現状は寂しいですね。業界っていうより日本人そのものがゲームに対して持ってる印象の問題なのかなと思います。よく言われる「いい歳してゲーム」とか、ガキがやるものっていう固定観念が根強いですよね。

    映画や音楽と同じエンターテインメントとして、成熟していないあたりが業界の足枷になっているような気がします。アメリカではお金を娯楽に使える大人もターゲットとして、しっかり捉えてます。大人が牽引してるんですよね。

    日本では子供相手、子供だましみたいなコンテンツが業界の中心です。まあ、日本人の大人の大多数がゲームを遊ぶ時間もお金もない、余裕がない社会に生きてることも原因でしょう。オレ的には心の余裕がないときこそゲームで楽しんで、ストレス解消っていう流れにならないものかと思います。大人も遊べるような環境にならなければ、いつまでたってもゲームは子供だけのものという印象は払拭できないでしょう。

    あと、海外で元気だなと思うのは、独立系開発会社ですね、いわゆるインディーズ。マインクラフトもテラリアも大ヒットしましたし。やはり、ゲームっていうのはグラフィックや開発に幾らかかったかじゃないんですよね。やってて楽しいかどうか。その最も大事な原点を思い出せるかどうか。業界が再生するかどうかはここにかかってくるでしょうね。

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  10. 同じくおっさんですが、回りのゲーマーも昔ほどのめり込んでおらず
    お手軽なブラウザゲームにシフトしていて、据え置きをやってる人もごく僅かで
    そんな中にひとりsteamで細々と遊んでいる変人ポジですw

    他の方の指摘にもありますが海外のインディーズは
    昔のドット絵ライクなソフトが非常に多く、自身もドハマリしたHOTLINE Miamiもその一つです
    今でも支持の高い、洞窟物語に影響を受けたソフトも多いように思います。
    ゲームをやらない人に見せたら"昔のファミコンみたい"と言われましたがw

    今のゲームは記事で指摘のあるように
    「やらされてる感」「映画を見てるような印象」が多くなってる気がします
    GTAやElderScrollSeriesと言った自由度が高いゲームが人気なのは、そう言う部分もあるのかもしれません。

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  11. 今も昔も ゲームは楽しいよ
    受け手たる自分が 変わったんだよ
    舌ってものはね 肥えていくんだ

    試遊コーナーでワーキャー叫びながら遊んでいる子供を見たおっさんの言葉である

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  12. 日本は名目GDP(国民の所得)が成長しておらず、デフレ下の状況にあります(モノ・サービスの価値が下がり、カネの価値が上がる)
    これは国民性にも表れていて、安くて良いものがほしい、モノよりも金の方が大事、安定した給料が貰える公務員になるのが夢、というような感覚がそれの象徴であると言えるでしょう

    この価値観が生まれたのはバブル崩壊以降です、それまでは良い製品は大金を出しても買おう、どんどん買いものをして経済を活性化させよう!というのが国民のマインドでした
    日本人はバブルが崩壊してから、カネを国内投資や人件費に回すのではなく、借金の返済に回すようになりました
    負債が恐い、バブルが弾けるのが恐い、それくらいなら投資や人件費を抑えてしまえと
    借金の返済は経済活動ではないので、これを続けると、経済は回らなくってきます、それまでは成長していたゲーム会社も、これにより人々が買い控えを始めるので商品が売れなくなるのです
    ゲーム会社はコンテンツ産業です、コンテンツ産業の商品は生活必需品ではないので、真っ先に消費が抑制されます
    するとゲーム会社は今まで共に働いてきた従業員を養うために、守りに入らなくてはなりません
    名目GDPが成長しない&デフレ下にある日本においては、企業間によるカネのぶんどり合戦において、誰も得をしない状況が生まれます
    名目GDPが成長&インフレ下の中でぶんどり合戦をやればみんな幸せになれるのですが、今の日本の状況でぶんどり合戦をやれば格差の拡大、或いはみんなが不幸になってしまうのです

    そういう中で戦わないといけない現実があるので、ブランドに頼ったゲーム製作や、時間もカネもかからないソーシャルゲームが流行ってしまうのだろうと思います
    時代と言うか日本経済の必然ですね、私はrobusuter氏が過去を懐古する気持ちが分かります
    よく、昔は良かったと言われますが、本当に良かったんだと思います
    たぶん日本経済がこのまま停滞、あるいは衰退していくなら、私達の次の世代も、その次の世代も同じことを言うような気がします、無限ループです
    ・・・話の終わり時が見つけられなくなってきました、失礼
    結論として、ゲームだけの問題ではなく、日本経済の問題であると主張して終わります

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  13. ゲームの開発費の高騰は本当にすごいみたいだ。
    http://jbbs.shitaraba.net/otaku/12973/storage/1250505151.html
    このスレは参考になるとはず、特に559からはandy山本さんという元ゲームプロデューサーが色々と裏事情を語っていているので、興味のある人は見てみるといいと思う。

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  14. なんだか元はゲームに触れない人間が想像で言った、アフィカスみたいな連中が目立たせ世論化したものに影響されてませんか
    普及とか人気とか数に関する話でソースが1つもないし(今時はソースがあったほうが逆に信用できませんが)

    難しそう、俺にできるのか?という友達の意見もゲームに要求、強要される所が多いのではという心配を意味するところだと思うし
    ゲームが好きならそのくらいわかりませんか

    何が言いたいかというとロブスターさんの立場で他のゲームをかじったようなアフィブログと同じように、世論(のイメージ)をまとめただけみたいな記事を書いて
    ゲームにおいて実態とズレたイメージをブーストさせるようなことをしていいんですかということです

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    1. 私は実際、家庭用ゲームは衰退の一途を辿っていると主張しています。年々発売されるソフトの数は減少しているのは事実だからです。
      その上、世論を語るつもりは毛頭ないと記事のはじめに記述させていただいてます。あくまで私の分析です
      http://www.famitsu.com/news/201404/04051082.html

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  15. トゥーンシェイドや防具等着せ替え好きな俺としてはグラの進化は嬉しいはずなんだが
    最近アクションゲーが増えている上
    トロくさくて格ゲー・アクションゲー・狩りゲー系が出来ないゲーマー()なんで辛いな
    結果生活ゲーや準ずるものばっかやってるがもっと戦いたい
    …wizやFE的コマンド戦闘系か聖剣3レベルのしょっぱいアクションRPGでw
    キャラメイク出来て無個性主人公でシナリオが押しつけじゃなきゃなお好みだけど、贅沢過ぎるかこっちはw

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