記事のようなお話をインターネット上でも日常会話でも私はよく耳にします。その際なぜそう思うような人が増えたのか個人的な見解を書き綴ってみたいとおもいます。興味のある方はぜひ一度読んでみてください。ゲーム好きとしてありのまま思ったことを書いています。
1.昔のゲームはアイデアで勝負するしかなかった
バグもゲームの面白さにもなり得るのにブログなどの影響でクソゲー要素と言われる始末。限度はあるがこういうのも楽しみで捉えられないのでしょうか・・・
最先端のゲーム機ででるゲームソフトははグラフィックや音、3D表現が半端じゃありません。10年前のソフトなどと比べ物にならないくらい綺麗になっています。しかしゲーム人口は年々減ってきている。それはなぜかというと単にゲーム自体が面白くなくなってきたからです。今のゲームはよくも悪くも優等生で、昔のゲームによくあったクソゲーと呼ばれるようなとんでもないゲームは大分減っています。その代償として今までの概念をひっくり返すような野心に満ち溢れた挑戦的なゲームも減っていると思います。
グラフィックなどが綺麗になるにつれそちらにリソースを費やすので商売的にコケることが致命傷につながるため迂闊なものは作れない余裕のなさを感じるゲームが非常に多いです。なのでマンネリ化につぐマンネリ化を起こし人々が離れていく。そんな悪循環に陥っているのだと分析します。挑戦的なアイデアを採用する余裕が昔ほどないのではないかと分析します。
2.この世界に身を投じたい!というワクワク感を演出できないゲームが多い現状
OPのアニメ演出で空想世界に引きこまれた作品の1つ。このような演出を製作者にもう一度考えてもらいたい
たしかに絵は綺麗になりました。しかし昔に比べてその世界で暮らしたい!戦いたい!と思えるようなゲームが減ってはいないでしょうか。むしろ先ほど述べた問題のせいで昔よりプレイヤーが操作できる部分が少なくなってしまっているゲームも多くあります。果てには一本道ゲーと呼ばれるゲームまで出てきてしまう始末。
昔から売れるゲームというのは自分がその世界に身を投じたいと思えるようなゲームがほとんどです。ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなどはその世界で自分が生きているという空想世界を演出しているゲームだからこそあれだけのヒット作品になりえたと思います。その例として昔は主人公の名前が自由に付けられる作品が今より多いはずです。それはなぜかというとプレイヤーがそのキャラになりきったり、よりキャラに親近感を持ってもらうためではないでしょうか。
私は最も空想世界を演出したゲームはポケットモンスターだと思います。ヒット作に不可欠な親近感を演出するだけでなく、GBの表現の限界をTVアニメによって補完することに成功したゲームだからです。アニメで歩いていた同じ町をゲームで歩くだけでその空間世界はより身近になったのだと考えます。
3.昔も今もその世界に参加できるゲームは人気があるし売れる
MSの大作HALO。まるでハリウッド映画の世界に自分がいるような気分にさせてくれます。
最近の世界のゲームで最も盛んだと思われるジャンルであるFPS(ファーストパーソン・シューティング)。何故人気があるのかは自分自身がこの世界に参加できる演出だからだと私は考えています。主人公の目線で物事を見ているのですから、まるで自分が戦争に参加しているような気分に浸れます。しかもFPSというのは昔はグラフィック技術的に演出することが難しかった。グラフィック技術の向上のおかげで世界に入りこめるようになったゲームだからではないかと分析しています。なのでグラフィックが綺麗になる=悪ではないということを誤解なさらないようにお願いします。
もう一つは海外で圧倒的な人気を博しているMaddenやFIFAのようなスポーツゲーム。これも技術の向上によりまるで自分がプロになったかのような演出ができるようになったゲームです。これも昔の技術では演出できなかったゲームで現代だからこそできるゲームなのではないかと思います。
初期のFPSの名作ゴールデンアイ。なんでもできる点が個人的に大いにうけた一作です。
偉そうなことを書きましたが、私はゲームが好きです。だからこそ自分なりに分析してこのような意見を持ちました。私はゲームの製作者ではないので製作者の方からみればなんて稚拙な考えだと思われるかもしれませんが、このような考えをもつゲームユーザーもいるのです。ゲームを好きな人がこれを読んだ時、どのような感想をもたれるのか私は大変興味がありますので、ぜひコメントやTwitterのリプライなどで感想をいただけたらなと思います。
ありがとうございました。robustar
昔のゲームっていっても上がるのは有名どころや面白いゲームだけって事でしょう
返信削除昔のクソゲーはそもそも話題にされない
つkanisokuhou.blogspot.jp/2012/07/blog-post_13.html
削除こういうゲームはいかが?
OP含めたムービーシーンが「ゲーム」から逸脱する原因でしょ。
返信削除このためにキャラクターの個性を立たせるとか、ゲームデザイン以外の演出にリソース割かなきゃいけなくなった。
結局、「昔のほうが面白い」っていう声はゲームそのものよりも演出部分に「飽きた」だけ。
格ゲーの進化の過程で考えるとわかりやすいかな。
昔でさえライトユーザだった俺からすると今のゲームはほんと長くて、お勉強が必要な娯楽になってる。
FFは7までは面白かったのに8から面白くなくなった
返信削除と言うより面倒になった
外面だけのゲームに何の価値があるというのか
今オリジナルのFF1,2やれって言われたら楽しめると思う?
削除8が面倒に感じるってことはシステムについていけてないだけじゃないの
>システムについていけてない
削除複雑難解になったせいか自分が衰えたかはさておき
少なからずついていけなくなったユーザーや全くの初心者に合わせてボタンを押して見てるだけのゲームが増えてきたという面はあるだろうな
どんなジャンルのゲームにせよ遊ぶ以上はその行為にのめり込めなければ
削除楽しめてもそうじゃなくても、やる意味がないと思うんだよ
8はゲームとしてのめり込む 行 為 は皆無だった・・・
主観だけどね
ドラクエはグラフィックが綺麗になったのはいいけど、演出も変わってギャグが強調されるようになって段々と興味が無くなった。
返信削除所謂国民的なゲームで、万人が遊ぶけど雰囲気は硬派な感じで、それが好きだったんだよなぁ。
最近は狙ったようなユルさがあって何だか嫌い。
昔のゲームは100点満点で
返信削除今のゲームは1000点満点で評価されてる感じがする
ドラクエはカセット容量が少ない初代FC版からあえてぱふぱふを入れてるコミカルな作品なんだけど
返信削除そういう遊び心とは違うよ。
削除昔からクスッとさせるようなネタはあったけど
無理にコミカルさを出そうとしている感じが嫌ってだけ。
昔のゲームは突き放したような、トライアンドエラーを要求することがあったけど
返信削除今のゲームは親切丁寧な説明&しかも初見で楽勝だったりするので
ゲームをクリアしてるのではなく、ゲームにクリアさせて貰ってる感じがします
ドラクエⅡやウィザードリィ(1,2,3)
削除くらい突き放してくれたらいいのに。
と最近のゲームを見てて思います。
civilizationやsimcityなんかはSFC版の頃と最新作では基本的にやることは一緒なのに面白さは失われていないから昔と同じアイデアでも工夫次第で面白くなると思うな。
返信削除ただしソサエティーズ、おめーは例外だ
娯楽として楽しめないなら、芸術として面白がるのも良いかもしれない。遊び方を工夫してみるのも妙手かもしれん。ゲームは遊ぶのであって遊ばされるものではないと思うから。一本道のRPGだってみんなとタイムアタックで競い合ったら中々面白そうだし。クリアするまでどれくらい時間がかかったか、またどれだけ手間暇かけてクリアしたか、など。大事なのは遊び方だな。無論、魅力的な世界観に惹かれてゲーム買う部分はあるけれど。とすると、夢旅行みたいな意味合いもRPGにはあるのか・・・?
返信削除家庭用ゲーム機の発展と共に成長してきたユーザーの
返信削除感性が鋭かった時期に出たゲームを褒めてる側面が大きいような
特にネットの言説はそう、あと単純な新鮮さ
昔のゲームは思い出補正で記憶が美化されてるだけなんじゃない?と思って久しぶりに『LiveALive』と『かまいたちの夜』をやったけどやっぱり面白いんだよね
返信削除ポケモン金銀は容量不足でトキワジムを完成出来なかった
最近はゲームのROMの容量が増えたけど出来る事が多くなりすぎて迷走してるのだと思う
Wiiのシレン3をプレイしてそう感じた
今とか昔とか関係ないと思うけどなぁ。
返信削除今だって面白いゲームはあるし。
ただ、厨ニ病が抜け切れてないようなやつが作ってそうなゲーム
が増えてきた感はある。
RPGが既に衰退期迎えてるからな
返信削除かと言ってSTGや格ゲーはブーム去って以降ライトユーザーお断り状態だし、和製アクションもマンネリ気味、FPSや洋ゲーも敷居が高い
客が求めるものがわからない状態だから企業も不安定になり、結果それなりに売れそうな安易なゲームを作る で、さらに客が減るという悪循環
思い出補正かかってるのもあるだろうけど年食ってゲームをがっつりするのが難しくなったってのもあるかもね
返信削除現役でガキなら今のゲームも楽しくプレイできそう
年を取って感性が枯れたからだよ
返信削除無駄な知識も蓄積されて新鮮に物事を受け取ることが出来なくなっていったとも言う
その意見で完結するなら、それは制作側の一方的な押しつけだよ
削除そうやって自分は悪くないと言い逃れし続ける
削除価値観を押しつける制作者って
削除俺の作った飯は美味いだろ?オラ食えよwww
って口に無理矢理押し込んでくる料理人みたいで頭の程度を疑う
食べてもらえないのにはそれ相応の理由がある
そして食べるのを決める権利があるのは消費者だけだ
ネットの発達も衰退を早める要因な気がする
返信削除雑誌や攻略本を買わずして情報が集められるし行き渡るから飽きがくるのが早くなってるんじゃないかとアーケードのゲームやってて思った
単純にシステムの複雑化が原因でしょう
返信削除二頭身のキャラクターと八頭身のキャラクターを動かす上でかかるコストと労力は何倍も違う
しかし現行の技術でさえ、リアルな人間のグラフィックを再現するので精一杯
それを補完するのに、役者を雇ってモーションをキャプチャし、一つ一つの動作に対応させなくてはならない
大本の土台自体が極端に言えばファミコンから変わっていないことはFF4が今でもことあるごとに焼き増し移植されていることからも観察できる
現世代の流麗なグラフィックと壮大で重厚な音楽さえ搭載させれば「今風」のゲームは創作出来てしまう
囲碁や将棋、チェスに優るボードゲームは今でも無いように、ゲームというものは単純であればあるほど実は完成されているもの
テトリスに戻れ、とは言わない。でも、グリーやモバゲーのやり方も否定しない
既存のブランドでビジネスが出来るならやれば良い
ゲーム業界がどのような未来に落ち着いて、可能性がどこまでのものか見届けるのも一ファンとしての楽しみ方の一つかもしれないと考えている
敷居は低くされど奥は深くか・・・
削除ネトゲはどっちかというと「広い」がメインのような気がするけど
とどのつまり、現実の人間関係以上に面白い娯楽というものはまだ存在しえない、ということだと思います
削除人間関係に疲れ果て、人嫌いの僕にはネトゲが隆盛する様を見て、皮肉に思えましたけど
据え置きゲームの良さは、ゲームの主人公になってシナリオの一部になって没入することが一番で、映画や漫画には無い魅力の一つだと思っています
ブランドシリーズを控える大手ゲーム会社はまだ商売出来るから良いんですが
開発費用が膨大な現状だと新規参入が難しくなるので、これは大問題かと
管理人さんも言ってますけど、アイデア勝負という部分では、同人ゲームがもうちょっと活気づくと面白い展開もありそうだなあ、とは思ってますけど
萎える原因の一つ
削除直ぐ横のお城に入るのに二頭身のキャラなら5歩で入れる
八頭身のキャラなら30歩かかる
ただ「お城に入る」と言う行動には「お城に入る」と言う意味合いしか本当は必要ないのに
それをただ実行するのにさまざまな関係ない動作が入る事で全体的に間延びする
もともとただ横に移動して入るだけだったものに歩いてから入るって言う行為がたされただけでも全然違う
今まで必要の無かった行動が必要になる
しかもそれは目的には無関係で無意味なもの
必要なのはそこに入ると言う部分だけであって
「歩き」と言う行動自体を楽しむと言う目的なら別だけれど
それは今したい事と関係ない事だったらただ間延びしただけ
やってる側にとったら指先一つで先に進みたいのにまどろっこしいだけ
また、逆に動きを楽しみたいのなら、動きを楽しむのに別の要素を入れてもまどろっこしいだけ
目的を一つ実行する毎に幾つも目的と関係の無い処理が付きまとうなら途中で疲れるでしょう
ゲームの目的とそれに必要な動作以外のものを詰め込みすぎているからこじれる
目的があったらそれに沿った最低限の動作だけでいい
なんかここで話題になるのはRPGばっかな気がする
返信削除シュミレーションゲームが好きなんだけど、このジャンルに関してはCGが綺麗なほど魅力が出るし、アイデアもまだ枯れてなくて発展の可能性があるとおもう
RPGはアイデアが枯れ果てた印象があるな
そりゃ新しいモノもあるんだろうけどね
もっと色んなジャンルをみれば斬新なモノもあるのかもしれない
シミュレーションゲーム
削除シミュレーションゲームなのにシミュレートの部分は殆ど発達していない上
むしろ単調化している気がする
シミュレーションだったら色々な条件、色々な行動、色々な要因をもっと考慮した方が良いと思う
一理あると思うが一番の原因は、飽きてきたからだと思うな。
返信削除個人的には昔のゲームより、今のゲームの方が面白いと思う。もちろん物にもよるが。
子供の頃は何でも新鮮だったし、一つのゲームに没入できた。
だが今はどんなに面白くても新鮮さは感じないし、没入もできない。
年を取るにつれ、自分の感覚が変わってしまったんじゃないかな?
「昔のゲームは良かった、今のゲームはダメ」と言う人は昔からゲームをしていて歳取った人だよな。
返信削除歳取った人が言ってるんならそれは単純に刺激に慣れただけだろう。
子供はどう思ってるんだろうね?
長年ゲームを遊んできた人たちを満足させるゲームが少ないという話なら
まだわからないでもないが、こんな漠然と今の全てのゲームを一方的に批判するような言い方だとただの懐古主義や老害と言われても仕方ないよね。
ゲーム会社のアイデアの限界もあるかもね
返信削除ちなみにワイは今でも電車でワンダースワンのミスタードリラーやっとるで!
返信削除この話題がでる度にこの画像を探してしまう。
返信削除http://25.media.tumblr.com/tumblr_lcc8aq0arK1qzoiiqo1_500.jpg
単純に年取っただけ
返信削除今昔のゲームやっても面白いってのは思い出補正
生まれる前からあるゲームのほうが面白いと思った
返信削除クラシックやら現代曲でもビートルズやらが未だに受け入れられてるのは
今聴いても新しい、面白いからだと思うわ
単に思い出補正で片付けるのは間違いじゃないか
FCやGBのゲームは実機でやると面白いけど
返信削除3DSのVCでやるとあんま面白くなかった
昔のゲームが面白いのは昔のゲームなのにスゲー!って気分にトリップすることも
一因にあると思う
グラフィックが綺麗になるのが悪って面はあるよ
返信削除綺麗になればなるほどそこにリソースをつぎ込まないとダメだから
他の部分が手薄にならざるをえない。
その点においてだけ悪。
今のゲームについていけなくなったってことは
返信削除今のゲームが飽きられつつあるともとれるんだよな
ソーシャルゲームの隆盛の陰で家庭用ゲームが
衰退してる一因がそこにあるんじゃないかな
起動するまでに時間がかかる
返信削除いくつも出てくる会社のロゴを飛ばせない
説明書を読まなくても触っているとなんとなくやり方がわかる。
返信削除なにせボタンが少ないから。
ある方向に進めばいいので理解度が高く進みやすく30分でもたくさん遊んだ気になれる。
ゲームに対する執着心が減ったのもあるが終わるまで長すぎて
2周目行くのはメンドクサイという方が勝ってしまう。
一生懸命考えたが、声がついてからキャラクターの創造性がなくなったっていう一因が自分の中ではある。
返信削除それまで王道のRPGの主人公はしゃべらない(台詞も一言二言)が鉄則だったから、どんな人物なんだろう?
どんな会話するんだろう?ってプレイしながら考えていた。
今みたいに主人公が主体的に仲間に話しかけて、声優さんがそれぞれ登場するキャラクターの声を当てられて、仲間同士の会話がなんでもプレイヤー側に聞こえてしまうのは正直楽しみが一つ奪われたような感覚に陥る。
もちろん声優さん目当てでゲームを購入される方だっているだろうし、売り上げにつながるってこともわかるんだけどさ。
全部与えられすぎてゲームを進める以外に自分で考える部分が消えてしまった感じですたい。
売れる売れないだったらソーシャルゲームや娯楽の多様化など要因はいろいろありそうですが、
返信削除面白い面白くないは個人の感性なので議論自体野暮。
なぜつまらないと思う人が増えたのかという議論なので、結局そう思っている人が買わないから売れないという話です
返信削除売れないで考察していただければ
やっぱ値段がなぁ
返信削除それに消費する時間が内容と釣り合ってなかったりするし
据え置きゲーム自体ある意味進化しすぎて在り方が合ってなかったりするのかも
だからソーシャルの方が商品としては上に来たのかもね
昔は10000円越えが多かったんだけどそれは
削除SFCのソフトとか当時クッソ高かったんですがそれは大丈夫なんですかね・・・
削除ソーシャルなんて現金使った殴り合いだからなぁ
削除頂点と一部が湯水のごとく金を使ってくれるから成り立ってるわけで・・・
1万/月以上突っ込むなら普通にゲーム買うけどね
だけど最初は無料だろソーシャル?
削除それは垣根が無茶苦茶低いって事だし
昔のソフトが高かったのは娯楽そのものの選択肢が少なかったから
成り立ってたと言う見方も出来るわけで
『無料です!』でシェアを伸ばしたのは事実
削除今は『無料です!』が規制で打てないから、ずいぶんと落ち込んだぞ?
そこら辺は虚業って言われてる連中の決済報告読めばいいよ
フタを開けたら消耗材の釣り竿1本2000円とかないし
「タダより高い物はない」ってことだね
昔は販売価格10000円越えのソフトを子供は中古で200円・300円で買ってた
削除値段が跳ね上がったように感じるのは事実
今ポケモン初代やっても楽しいと思えるけどゲームバランスは最悪なんだよなあ、金銀も中途半端に詰め込んでカントーが疎かになってる
返信削除BW2はBWからの流れでシナリオと新ポケモンのデザインは賛否両論だけど攻略上は初代でヒトカゲ選んだ時みたいにはならないし、だからといって簡単なわけではない
今は昔と比べられるってところでメリットデメリトありそう
テイルズみたいなのは自分は主人公にはなれないけど小説や漫画読んでる状態に近くて正直自それでも楽しい
単なるシナリオの傍観者になっていると言われたらそうかもしれないけど
1から作ったものと、作られたものから作ったものの違いではないかと
削除そしてやる方も1からやるのと、土台の上からやるのの違い
面白いゲームは次代問わずあると思うけどね
返信削除今と昔で分けるのが間違いなんだよ
今と昔で比べるので良いと思う
削除今と昔で違いがあるからなのなら
あれだよな、「昔のゲームのほうが面白い」っていう人間は皆RPG派なんだよな、
返信削除自分もそうだから、この記事の「その世界に入りたくなるゲームは面白い」っていうのはすごいよく分かる 今でも面白いゲームは入り込めるよ
デモンズソウルとか、マイクラとか、モンハンとか
でも全体的に入り込めないゲームが最近増えたのは確かだね
設定やキャラデザに凝りすぎて自分に投影できない感じ
だから、入り込めるかどうかを気にしないアクション派や
シューティング派と意見が割れるわけだ
今の話は理屈臭い
返信削除いろんな場面で理屈で説明しようとする
昔だったら、すごい不思議な力だったものが、脳を100%使ったから、とか、ウイルスに感染して、とか、理屈で語ろうとする
昔は人が平然と空が飛んでたのが、今空を飛ぶのには理屈がいるし、そもそも今は人が空を飛ぶと言うのは非常識で人が空を飛ぶと言う発想がそもそも無い
昔の幻想的な世界と言うのは本当に不思議で理屈では表現できないようなもので、頭の中にある感覚をそのまま再現したような空間、いるだけで不思議でずっとそこを眺めているだけでもいられる夢の中のような世界
今の幻想的な世界と言うのは現実的な世界にファンタジーっぽさを与えただけ、ファンタジーの登場しそうな耳の長い人、角のある馬、もや、それがいるだけでその他は現実世界と同じ
昔の幻想的な世界では物体が宙に浮いているのが説明もないし当然の出来事
今の幻想的な世界では物体が宙に浮いているなんて描写はそもそも無い
植物が動いたりはしないししゃべったりも当然しない
動物が空を飛ぶのは迷信、でももう設定が存在するペガサスは飛ぶ
昔は普段いけない場所の裏には別の全然知らない世界がある
滝の裏には抜け道があってその先には不思議な世界があったりする
湖の先には不思議な遺跡があったりする
今は、とても現実的、滝は滝だし湖は湖、それ以上のものは無い
昔は石像や仏像は動き出した、今は石像や仏像が動いたらみんなに馬鹿にされる
絵画の中に入れての絵画の世界に閉じ込められるなんて発想、今の人には想像も出来ない
人が呪いでマネキンになる恐れもない
昔は太陽が二つある世界だとか出てきた事もあったけど、今は太陽は一つ、常識だから
朝が来ない世界で朝が来ない太陽が昇らないのは、昔はただ悪魔がいるから、だったのが、今ではそれらしい説明する理屈があるこうだから太陽が昇らないんだ、それにそもそもずっと夜なんて非現実的なのでそんな世界はそもそも描かれない
攻撃が通用しない相手、昔だったら何をやっても通用しない、不死身なんだ・・・あああ、怖い
だったのが、今はこういう理由で攻撃が通用しない、ここを解除すれば通じる、見たいなやり方
さらに、ただ解除すると通じるようになるから解除を難関にする事でバランスをとろうとする
通用しない理由も理屈なら、通用しない状況を維持するのも理屈、単に難易度が高いから
さらにエスカレートして、自分に敵対してる相手はどういう理屈で何を考えているかまで全て理屈をつける
何で自分に敵対しているのか
すると一個人に過ぎない主人公を狙う理由が無いのではと思うような理由も
後自分(主人公)の行動を正当化しようとする
昔のゲームでは主人公が人を殺すのには理由は要らなかったはず
ただ主人公は殺しただけ
今のゲームは主人公は正義だから相手を殺すだとか、殺さなければ殺されて仕方ないからだとか
しきりに正当化しようとする
後、やりたいようにやれない
日常生活で出来ないような無茶な行為無茶な設定を作らないようになった
バーチャルであるにも拘らず全ての行動が現実の常識に縛られてる
差別発言の禁止しなきゃいけない相手、労らなけいけない相手の存在、傷つけちゃいけない相手、傷つけていい相手が存在する
敵にしちゃいけない相手、味方じゃなきゃいけない相手
殺してもいい相手、いけない相手、がいる
全てが理屈っぽい
今はそこらにありそうなもやや霧がかかった森にエルフとユニコーンがいる事が幻想的な世界って事になってる
返信削除想像力が退化しているとしか思えない
空想の産物は昔のは手の届かない産物だったのに今は手の届きそうな産物
昔の作品に出て来る機械は何でもあり、今の作品に出て来る機械は現実にある機械の性能を上げたもの
昔の作品に出て来る遺跡は現実番離れしている
意味ありげなサインがいたるところにあったりその世界を歩いているだけで楽しかったり
今の作品に出て来る遺跡は現実的、現実の遺跡をモデルにしている
現実の域を決して出ない
昔の作品は頭の中のイメージを現実(ゲーム)に再現しようとしている
今の作品は現実をゲームに再現しようとしている
現実がベース、現実由来
何の面白みも無い
物体が浮いたりするのには理由が要るし、そもそも浮かない
石の通路や遺跡がそのまま浮いてるなんてありえない
石像が動いたり、ミイラが動いたりするのには理由が要るし、そもそも動きださない
「今のゲームはみんなどっかで見た事がある」
それは現実で
もしも他の作品で見たのなら別に気にならない
人が銃を撃つのは当たり前
逆に手段が人が普段やってる事しかないって
魔術でも設定された物だったらそれを使えるのは当たり前
今の作品に出る魔術は魔術の部分を銃に置き換えればそのまま現実になる
今魔術を扱った作品の殆どは日常生活の手段の一つにそれがあるだけで、その世界にとってそれは不思議でもなんでもない
それが当たり前の事を出来て何がいいのか分からない
調べてみたんだけど、画像、興味をそそると思ったら海外の人が作った作品
返信削除http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1203/08/news098.html
やっぱり日本のゲームは劣化してる
昔のゲームはやってる人がいじって楽しむ物、今のゲームは製作者の作ったお話を見る物
返信削除根本的に違うと思う
昔のゲームではやってる人が色々触っていじってその結果が返ってきてたはず
この人と話してた時と話さなかった時で先に進んだ時に違いがある
調べたところ調べなかったところがそのまま影響を与えたりする
今のゲームは一本道で何をどうしようと同じお話が続いているだけで暖簾に腕押し
昔はアイテムを調べる順番すら影響があった事だっていっぱいあったはず
目の前のテーブルにお金と武器が合って、お金を先に調べるた場合と武器を先に調べた場合で結果が異なる
とか
自分でやってるのが昔のゲームで、作った人の話を聞いてるだけなのが今のゲーム